養 老 健 康 百 話

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養老健康百話-13

運動不足と飽食の時代

 人間の身体は、長い人類の歴史の中で、厳しい自然環境に抗し生き残るため、激しい労働と飢餓に耐えられるように作られてきた。ところが、この長い歴史からすれば、ほんの一瞬にしか過ぎないここ半世紀の間に、人間を取り囲む環境は激変した。自動車の普及、家庭電化などにより、体を使う労働の機会が激減し、飽食と運動不足の時代がやって来た。人間の体は環境の変化に適応するが、適応にも限界がある。飢餓と労働に耐えるように作られた人間の体は、飽食や運動不足にはついて行けない。

寝たきり実験の示す廃用の怖さ

 スキーなどで骨折した人は経験済みだろうが、治療のためにギブスで固定した脚の筋肉は2週間もすれば、すっかり痩せ細ってしまう。使わない筋肉は減ってしまう。いわゆる「廃用」現象である。それでは、全身の筋肉を使わないでおくとどのような悪影響が生ずるのだろうか。

 これを研究するために、「寝たきり実験」(1960年デンマーク)が行われた。健康な若者5人を20日間ベッドで寝たきりにさせ、主に心臓の働きが調べられた。心臓の容積は10.5%減少した。心臓の筋肉が廃用の影響により減ったためである。心臓が1回の拍動で送り出す血液の量も安静時で24%、運動時で28.7%も減少した。持久力を示す最大酸素摂取量は27.3%も減っていた。これらの弱った心臓の収縮力を正常に戻すために運動訓練を行ったが、回復には5週間の訓練期間を要した。元気な若者ですらこれほどの悪影響を受けるのだから、高齢者への寝たきりの悪影響はもつと大きいと考えられる。

 廃用の悪影響は意外に早く現れ、進行する。筋肉を全く使わない場合、その筋力は一日で3~6%ずつも低下し、一月もすると半減してしまう。関節も2ヶ月間動かさないでいると「拘縮」が起こり、元には戻らなくなってしまう。さらに、骨は萎縮し、骨粗しょう症が進行する。

 寝たきりのような極端な話ではなく、日常の一寸とした運動不足でも、高齢者には廃用が生じ易い。加齢とともに程度の差はあるが、誰でも運動機能は低下して行く。去年まで楽々できたことが今年は出来なくなる。老いを自覚させられる瞬間である。すっかり自信を失い、やる気さえ失ってしまい、「年だから運動しても無駄だ」と運動をしなくなる。運動しなくなれば、廃用によってさらに運動機能は衰え、老化を加速進行させる。運動不足と老化の悪循環は急速に進んで行く。老化自体による運動機能の低下はある程度やむを得ないが、運動不足による運動機能の低下は運動訓練によって防止も回復も可能なのである。

超高齢者でも運動訓練で若返る

 従来「高齢者の運動機能は低下する一方なので、運動訓練などは無駄である」と考えられていた。それに対してアメリカの研究者が寝たきり寸前の超高齢者に筋力増強訓練を実施して大きな効果があることを証明し、従来の高齢者に対する考え方が誤解であることを示した。この研究はアメリカの特別養護老人ホーム入居者を対象に下肢の筋力増強訓練を実施してその成果を実証したものである。以下、簡単に研究内容を紹介する。

 対象者の平均年令は87歳、最高齢者は98歳の全員超高齢者のグループで、運動機能は相当に低く、ほぼ67%の人が日常生活上何らかの介護が必要で、自力で歩ける人は2割にも満たなかった。訓練は膝関節と股関節のそれぞれを伸ばす筋肉に対するマシン・トレーニングで、1回45分、これを週三回、十週間続けた。対象者百人のうち半分は訓練群として筋肉トレーニングを行い、半分は対照群としてレクリエーションやストレッチに参加してもらった。

 その結果、訓練群では下肢の筋力が113%も大幅アップした。対照群も3%のアップを示したが、その差は歴然と云える。歩行速度も訓練群で12%アップ、日常生活における歩行量は30%もアップした。対照群ではいずれも変化なしだった。

 歩くのもやっとの超高齢者に対して、機械を使ったハードな筋肉トレーニングを実施したところ、全員がそれに耐え、その結果、筋力が倍増したり、日常生活でも活発になったりという驚異的な成果が示されたのである。

 この研究の主催者であるフィアッタローネ博士は、新聞記者のインタビューに応え「年をとれば運動能力が低下するのが老化であり、避けられぬものだと従来は考えられてきました。しかし、本研究により、これまで老化と考えられてきたことの多くは、実は単なる運動不足に過ぎなかったことが判明したのです。」と語った。

 日本でも東北大の辻一郎教授が高齢者に運動訓練を実施し、全身の持久力や心臓の収縮力に「運動半年、五歳若返り」の成果を得たと報告している。また、高齢者が運動訓練を始めるのに手遅れとなる年令や運動機能レベルなどない。むしろ、機能の低下している人ほど訓練効果が大きいという研究成果も発表されている。

好きで楽しい運動を無理なく続ける

 運動には色々あるが、どんな運動が高年齢者には適するのだろうか。結論を言えば、その人の体力、趣味、健康状態などに応じて、自分で楽しい、心地よいと感じる運動を選び、無理なく継続実施できるものなら何でも良いと云える。運動にはそれぞれの効果があるので、優劣を決めることが無意味なのである。

 健康に良いから運動せねばならぬと、好きでもないことを無理してやっても、負担が大きいだけで長続きはしない。過激な運動を無理してやれば、体に有毒な活性酸素を余分に発生させるだけである。高齢者向きとされるウォーキングとて、寒い雪の日や炎暑の中で無理してやれば体に良くないことは明かである。運動の強さも話をしたり笑いながらできるくらいが適当で、息を切らせてまで頑張ることはない。

 また、とりたてて運動と云わなくても、日常生活の中で体をこまめに動かすことが運動量を増やすのに役だっている。買い物に行くのに車を使わずに歩く、なるべく駅やデパートの階段は歩いて登る、庭仕事をする、犬の散歩に付き合うなど、一寸した工夫で運動不足はかなり解消できる。万歩計などを活用すると励みがついて一層効果的である。

                辻一郎「のばそう健康寿命」岩波アクティブ新書、飯島雄一

                「健康ブームを問う」岩波新書より