養 老 健 康 百 話
第四話 痴呆症
養老健康百話-4

ボケそうにない人でも罹るアルツハイマー型痴呆

 一般に頭脳と身体をよく使う生活習慣を持つ人は痴呆になり難いと言われている。
 しかし、1994年11月米国の元大統領レーガン氏がアルツハイマー型痴呆に罹り、全ての公務から退くとの公表は全世界の人々を驚かせた。レーガン元大統領は大統領を辞めてからも幾つかの名誉職を精力的にこなし、毎日沢山の書類を読み、時にはゴルフを楽しむなど、最も痴呆にはなり難い生活を送っていた人物である。

 日本でも作家の丹羽文雄氏がアルツハイマー型痴呆になり、療養中である。丹羽氏は作家として毎日色々な文献を調べ、創作活動を行う傍ら文壇ゴルフ会のリーダーとして毎週ゴルフに興じていた。つまり、通説では最も痴呆にほど遠い生活を送っていた人物である。今のところ、健康的な生活習慣を守り、趣味や奉仕活動など頭脳に刺激を与えるような積極的な生き方を送っていても、アルツハイマー型痴呆は十分に予防できないということだ。

原因も治療法も不明

 痴呆症には色々な種類があるが、何と言っても老人に多い痴呆の両横綱はこのアルツハイマー病と脳血管性痴呆である。脳血管性痴呆は脳梗塞の症状の一つであり、怖い病気ではあるが、その原因もわかり、予防も治療もある程度可能である。脳の細い血管が血栓で詰まり、詰まった部位によって手足の麻痺、言語障害、痴呆が発生する。脳梗塞の原因は高血圧、動脈硬化、高脂血症なので、生活習慣を改善し、原因を取り除けば予防も可能である。発症してからでも生活習慣の改善とリハビリテーションである程度の機能回復が計れる。

 これに反し、アルツハイマー型痴呆は原因も未だ突き止められていないし、進行を遅らせたり、症状を緩和したりする薬はあるものの根治は不可能である。アルツハイマー病の脳を解剖してみると、三つの主要変化が観察される。脳細胞の急速な死滅による脳の萎縮、古くなり死滅した神経繊維、樹状突起が分解排出されずに溜まる神経原繊維変化、アミロイド蛋白質が沈着してできる大量の老人斑である。しかし、これらの変化は正常に老化した脳にも大なり小なり起こっている。これらの変化が病的に速いのが問題のようだ。

記憶障害による異常行動 アルツハイマーの主症状

 アルツハイマーの症状はすべて記憶障害の形で現れる。初期には、ガスや水道の栓をよく閉め忘れる、財布や眼鏡のありかが判らなくなる、よく知っている知人の名前が思い出せないなど単なる普通の老化現象と見分けがつかない。

 そのうち、簡単なお金の勘定ができなくなる、大切な約束を忘れる、自宅への帰り道が判らなくなる、済ませたばかりの食事を未だ済んでいないと催促するなどのやや異常な症状が現れ、やっとこの時点で家人も異常に気がつく。

 さらに病状が進むと、配偶者や子供が誰だか判らなくなる、自宅の住所、自分の年令も忘れてしまう、お金を家族に盗られたなどの被害妄想が出てくる、人格がすっかり変わってしまう、夜間に家から飛び出し徘回する、トイレの粗相が多い、食べられぬ異物を食べてしまう、などの深刻な異常行動が現れる。やがて、最後は寝たきりになり死を迎える。この病気の悲劇は身体は丈夫なのに脳の機能が低下し、周囲の人々に大きな負担を与えることである。患者には酷な話しではあるが、むしろ、寝たきりになってしまった方が介護は楽になる。

病むも地獄、介護も地獄

 「ボケてしまえば、本人には何も判らないのだから、死の恐怖もなく、楽に死ねて幸せじゃないか」などと言う人もいるが、そうでもなさそうである。初期には本人も自分の記憶の異常に気付き、不安にかられ、悩み苦しむようだ。何も判らなくなるのはある程度病状が進んでからである。身体は健康なのに脳の病状が進むと、大声で騒ぐ、乱暴狼藉を働く、糞便を所かまわず垂れ流す、便をこね回したり食べたり、夜中に外に飛び出して徘回し警察に保護されるなどの異常行動が頻繁に起こるようになる。

 さらに悲しいことに、自分の配偶者や子供すら判らなくなり、介護に対する感謝も配慮もなく迷惑な異常行動を繰り返す。理屈では病気だから仕方がないと判っていても、時には忍耐の限度を越え、患者を折檻したり、行動の自由を奪ったりしてしまうこともある。病気の夫がアルツハイマーの妻の面倒が見きれないので、妻を殺して自分も自殺してしまうなどと言う悲惨な事件も後を絶たない。病むも地獄、介護も地獄の状況である。

闘病するのは介護する家族

 家族の中にアルツハイマー痴呆らしい病人が発生したら、まず精神科、神経内科などの専門医に診察してもらい、病気の進行を遅らせる薬や迷惑行動を沈静させる薬などを投薬してもらう。同時に、市町村の福祉部門に相談し、利用可能な公的施設や援助をフルに活用し、家族の負担を少しでも減らす工夫をしておくことが肝要である。

 世間体を考え、家族の中だけで内密に処理しようとしても無理である。行政機関や御近所の助けを借りることが大切になる。闘病するのは、患者本人ではなく二十四時間困難な介護に当たる家族である。もし、徘回などの異常行動があれば、見栄体裁を捨てて自治会になどに相談し、回覧などで近隣の方々や駐在署の協力を予め依頼しておいた方がよい。

預かってくれる福祉施設、病院は不足している

 大抵の病院では、アルツハイマーの患者を入院させてはくれない。外来として通院させ、投薬してくれるだけである。唯一アルツハイマー患者を受け入れて入院させてくれる公的施設は特別養護老人ホームである。ところが、この施設は全国的に不足し、申し込んでも入所には何年もかかるのが実情である。在宅では介護しきれないので、どうしても緊急に入院させたい場合には民間の精神病院を頼るしかない。

 精神病院では、患者が勝手に外へ飛び出さないように病棟に閉じ込め、暴れまわるような患者には強い鎮静剤を投与しておとなしくさせてしまう。お金持ちならば、痴呆患者が安全に暮らせるように自宅を改造し、看護師を二十四時間態勢で患者にはりつけて介護してもらうことも出来るが、普通の家庭では到底無理な話しである。せいぜい介護保険の助けを借りてホームヘルパーを頼んだり、施設にショート・ステイさせたりして、家族の負担を一時軽くして息を抜く程度である。しかし、身体が健康で脳だけが病気の患者は介護保険での要介護度の点数が低く、不利な扱いしか受けられない。長寿社会を迎え、年寄りは増える一方であり、それに連れてアルツハイマー病患者も増加の一途である。早急な政府の施策完備が望まれるところである。